父が死んだ時は、私は30代だったので特に意識しませんでしたが、50歳を前にした頃に「定年」を意識し(楠木新さんの「定年後」(中公新書)も読みました)、「自分も父の様に75歳で死ぬとすれば、再雇用終了の65歳以降に残される時間は10年しかない、どうする???」と思い始めました。
持病もなく、健康不安はありませんでしたが、「健康な間に、体の自由が利く間にしっかりと人生を楽しもう!60歳で引退する!!!」と誓いました。
60歳を過ぎて何をするかは具体的には考えていませんでした。その頃、一回り下の後輩と酒を飲んでいる時に、会社を定年したら何をするかの話になり、「コンビニでレジ打ちでもするか?でも難しそうやね。」と言うと、「そんな勿体ない!もっと稼げる職があるでしょう!」と言われました。
40歳半ばから50歳前後はサラリーマン人生で一番仕事をした時でした。仕事に裁量権があり、上司、仲間にも恵まれ気力充実していた時でした。しかし、心の底流には大きな組織の中で働くのは止めにしたい、自分の意に沿わない指示に従うのは止めにしたい、無制限に自分の時間を仕事に使うのは止めにしたいとの思いがありました。60歳時点でサラリーマン人生にピリオドを打ち、自由に過ごしたいと思っていました。「コンビニのレジ打ち」を本当にしたいと思っていた訳ではないですが、レジ打ちの仕事が、サラリーマンの仕事からの逃避先の象徴だったんでしょう。
50歳を前に定年を意識して、父の人生を思い返したこと、充実はしていたもののサラリーマン人生の疲労が蓄積してきたこと、経済的に手に届きそうなこと(資産運用は別の項で)。これらが合わさって「60歳きっぱり引退」との思いに至りました。