定年後は短いかもしれない①

早期退職の理由

実の父が2000年代半ばに死にました。75歳でした。当時の男性平均寿命が79歳だったので早死にです。

父は20歳前後に母親(私の祖母)、弟、妹と一緒に戦後に田舎から関西に出てきました。父親(私の祖父)は既に中国で戦病死していました。軍服を着て銃を持った姿が遺影でした。

父は高卒で中小機械メーカーの現場で働き、私が小学校低学年時に部長になり、最後には10-20人程度の子会社を任されて65歳まで働きました。小さい頃、近所の人に「僕のお父さんは部長なんだ!」と自慢げに言った覚えがあります。

引退後10年ありましたが、後半2年は体の自由が利かなくなり、自由な時間は実質8年でした。20歳から約45年働き詰めの人生でした。週休2日の時代ではなく、週休2日になっても機械の納期を間に合わせる為に頻繁に土日も出社していました。高度成長期のサラリーマンで遊ぶことなく人生を終えたと思います。

近所の公園でよくキャッチボールをしたこと、甲子園のナイターと高校野球に連れてもらったこと(1回)、紀伊国屋でブルートレインの本を買ってもらったこと(当時は電車が好きでした)が小さい頃の父との思い出です。家族全員で旅行に行ったことはありません。夏休みの作文には毎年困りました。

父の会社に社員旅行はありました。台湾には行きましたが、ハワイの時は機械の納期の為に出社していました。酒は飲みましたが車通勤なので家での晩酌のみ。年に一度の忘年会の時だけ、酔っぱらって帰ってきました。ゴルフ、パチンコ、麻雀、ギャンブルはせず。若い頃に勉強できなかったのが悔しくてドイツ語、フランス語をNHKラジオで勉強していましたが、一度もヨーロッパには行かず。車も長い間、会社の軽自動車やライトバンに乗っていて、自家用車を買ったのは私が高校生の時が最初で最後。スカイラインでした。憧れていたんでしょう。引退後に親戚を訪ねる為に九州と関東に母親と行きましたが、純粋な旅行は私が結婚してから、私の奥さんが会社の保養所を取ってくれた伊豆と城崎の旅行だけだと思います。伊豆には私も一緒に行きましたが、人生唯一の父との旅行でした。

父が不幸だったとは思いません。寡黙な父と、お喋りで楽天的な母の不思議な組合せでしたが、喧嘩をしたのを見たのは数回だけ。死ぬ数か月前に、病床で「お母さんは家族の宝物やから、大事にしてや!」と言い残しました。母も時折「写真のお父さんと喋ってた」、「今の生活ができるのはお父さんのお陰」と言います。きっと仲良し夫婦で、父も幸せな人生だったと思います。

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